【追悼手記】東邦音楽大学 名誉教授 小島佳男先生と語り合った学生たちへの想い

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東邦音楽大学名誉教授の小島佳男先生が亡くなられたことを知ったのは今年に入ってからで、最近のことでした。

音楽教室のマネージャー時代に毎月、作曲の特別レッスンに来ていただいた先生でもあり、レッスンが終わると一緒に行きつけの居酒屋に行ってお酒を傾けながら楽しい時を過ごさせていただいた先生でもあります。

 

私が退職してからはお付き合いをすることは無かったのですが、社団法人の理事長になってからは当時にお話ししたことを思い出し「お元気だろうか」「久々に連絡を取ってみようか」と思いネットで調べて東邦音楽大学発表の訃報を知りました。

享年70歳。2018年の10月に亡くなられていたとのことで、奇しくも私の母が10ヶ月に渡る苦しい闘病生活を終え膵臓がんで他界したときとほぼ同じ時期。年齢も母とほぼ変わらず、私とは親子ほどの年齢の違いがありましたが懇意にしていただき、毎月のように二人でお酒を飲みながら先生と学生の面白いエピソードやこれからの音楽大学のあり方などについて本音を聞かせていただいたことが沢山ありました。

こんなエピソードも・・・

飛行機に乗っていたら着陸直前にトイレが我慢できなくなり、無理やりトイレに立ったら運悪く飛行機がエアポケットに入って急降下。飛行機の中で先生だけが上昇して天井に頭をぶつけてキャビンアテンダントに本気で怒られた話は、本当にみんなで爆笑させていただきました。そんな面白いエピソードが次々と出てくるので、いつも居酒屋の閉店間際まで飲んで翌朝は二人とも少々二日酔い。

ただ、笑って過ごせる話だけではなく、これからの音楽大学の未来についても考えを聞かせていただき、年の差を超えてお互い真剣な話を繰り広げたこともありました。

 

小島先生と同席させていただくようになったのは、今から15年以上前でしょうか。この頃、小島先生は全国を回って未来の演奏家を探し、大学への進学を勧めるお仕事にも就かれておりました。しかし、この当時から大学は学生を確保するのが難しい時代に入っており、特に音楽大学は毎年のように定員割れを起こしている状況。

小島先生は「学生募集」、私は「生徒募集」という近しい立場ですから、お互い「どうやったら集まる?」という話には密接な繋がりがあります。音楽教室が生徒を集められなければ音楽大学へ進む学生も少なくなりますし、音楽大学に元気がないと夢を持って音楽教室に通うことができなくなり生徒の募集にも長い目で見ていけば影響を及ぼしていきます。

大学の入学パンフレットを見せていただいて「大沢さん、パンフレット見てどう思う?」「何か他に良いアイデアあるかな?」と言われ、私のような親子ほど年の差が離れている下っ端社員にも積極的に意見を求めてきて、小島先生の音楽大学への想い、学生たちへの想い、演奏家たちへの想い、音楽への想いが純粋な気持ちとなって溢れ出ていたんだろうなと心に響いた瞬間でもありました。

そして、よくお話をされていたのが「学生たちが音楽大学を卒業してからの未来」についてでした。

 

音楽大学を卒業して音楽教室の先生になっても、生徒数は昔に比べても激減してしまい、楽器店に所属しても生徒が付かない。演奏家になっても仕事がない状況が続き、教室の先生を兼任しないと食べていけない。だけど、やはり生徒が付かない。

音楽大学を卒業しても自立した一人の大人になることが非常に難しい。音楽大学に未来を感じられなければ音楽家を志す人々に夢を与えられなくなる。このことを憂いておられました。

このとき、お互い同意していた考え方が「音楽大学は学生に生徒募集を教えるべき」という内容。思えば、このとき話した内容が、今、私がこの社団法人を立ち上げる一つの大きなきっかけになったと思います。

学生が音楽大学を卒業しても、自立した音楽教室の先生になれるよう教室経営や生徒募集の方法を学べる大学。先生や演奏家にならないにしても、経営や生徒募集というマーケティング技術を学べることは一般企業に就職するときも有利に働く新しい形の音楽大学になれるのでは。ただ、当時は大学でそんなことを教えてしまえば、生徒募集手法を学んだ個人教室が増えてしまい大手音楽教室が困ることになりかねませんから、夢物語と言えば夢物語だったかもしれません。

それでも小島先生は「大沢さん、大学に来て生徒募集のこと学生に教えてよ」と、冗談まじりで言われて「私みたいなペーペーが話しても信用しませんよ!」と笑いながら話していました。

しかし、今、楽器店が消えていき、大手音楽教室も生徒数が激減し、どんどん統廃合が進んでいく姿を見ていると、あのとき話し合ったことは正しかったんだと痛感させられます。もし、あの時からこの考えを実現させていれば、もっと学生たちは卒業後も自立した考え方を持って社会に出て活躍できていたのかもしれません。

小島先生・・・70歳で逝かれたのは早すぎます。今の立場になった自分だからこそ、お話したいことが沢山ありました。もう一度、お会いしてお酒を傾けたかったです。

そして、私は音楽家ではありませんが、こうして先生との出会いが人生に大きな成長をもたらした、小島先生の生徒の一人だと思っております。

小島先生が心配されていた学生たちの未来。私が確かにその心を引き継いでおります。

一般社団法人 全国個人音楽教室生徒募集支援協会
理事長 大沢 孝弘

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