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大沢孝弘かんたん自己紹介

大沢孝弘ってどんな人?

大沢 孝弘
<所在地>
北海道札幌市在住
<キャッチコピー>
「音楽教室を生徒募集で笑顔に変える」
<所属>
一般社団法人 全国個人音楽教室生徒募集支援協会 理事長
カプリチオーソ・エンタープライズ合同会社 最高経営責任者
カプリチオーソ音楽教室 代表
特定非営利活動法人 文化向上心倶楽部 副代表理事
職業訓練校指定講話師
札幌市里親会会員
札幌市PTAしごとの「ゆめ時間」招待講師
<趣味>
キャンプ・料理(食べる&作る)・バンド活動・家族旅行・沖縄・ゆるい筋トレ
<実績>
ヤマハ音楽教室生徒募集統括マネージャーとして13年間で10,000人を生徒募集
北海道ヤマハ会優秀社員賞受賞
ヤマハ音楽教室より生徒募集実績コンテスト受賞3回・スピーチ2回

私のSTORY – ダメダメ社員からのスタート

大沢孝弘ってどんな人?

1975年に北海道最東端の根室市で生まれる。
大学卒業後に北海道地元最大手の楽器店に就職しローカル地域でのヤマハ音楽教室と鍵盤楽器販売の企画営業に配属。
しかし、営業エリアに空きがないという理由で顧客ゼロのまま営業として外回りに出され、一軒一軒のチャイムを鳴らし「ピアノいりませんか?」「音楽教室に興味ありませんか?」という半ば無謀な営業活動しかできず、入社1年目にヤマハ系列の楽器店社員全員参加で売上を競うセールスマンコンテストで新入社員部門最下位。2年目の「一般営業部門」も下から数えて2位という落ちこぼれ営業マンとして活躍。そんな低成績にも関わらず、担当者が相次いで退職などで不在となったヤマハセールスレディ部門のマネージャーに「誰もやれる人がいないから」という理由で就任。営業マンとして成績を上げられていないのに、マネージャーなどできるはずもなく「セールスレディ部門」でも過去最悪の成績を残し、前代未聞の3部門でどん底の成績を残した社員として有名になる。

どん底成績から奇抜な企画の連続で業績をV字回復

大沢孝弘ってどんな人?

この頃から自分はこの業界には向いていないと考えるようになり、趣味のパソコンを活かしたパソコン修理業への独立起業を視野に入れだす。しかし、ホームページ制作やチラシデザイン、コピーライティングや販促企画などの集客技術を勉強しているうちに「独立起業の前にこの会社で一矢報いたい!」と思うようになり自己流の仕事改革をスタート。ヤマハから与えられたチラシを使うのではなく独自に販促企画を立案しチラシ作成をおこないながら、一軒一軒を地道に新規開拓しながら作り上げてきた人脈から営業スタッフをスカウト。「中古ピアノ抽選で1名様に19,800円」や「おじいちゃん・おばあちゃんピアノ買って!」といったこれまでに業界では誰もやってこなかった奇抜な企画も出しながら、2年で販売成績をV字回復させることに成功。この頃からヤマハ音楽教室生徒募集部門でも好成績を残すようになり、業界最年少20代での係長就任を果たす。

業界初の統括マネージャーとして13年間で10,000人を生徒募集するも…

大沢孝弘ってどんな人?

企画営業やセールスマネージャーだけではなく、音楽教室マーケティング・コンサート企画・鍵盤楽器販売・販促企画・人事採用・IT部門など全てをマネージメントする業界初の統括マネージャーを務め、イベント企画では会社の隣りにある40坪程度の小さな広場を活用した「夏祭り」を企画。屋台を並べ、屋内外でのコンサートや子ども参加型イベントを多数おこない二日間で3,000人を集めて同日開催でお祭をやっていた近くの神社からクレームがつくほどの盛況ぶりを見せる。
こういった地域活動も実を結び、リーマンショックが起きた2008年には北海道の全ヤマハ特約店での音楽教室生徒募集数が前年割れする中、唯一、前年比100%超えを達成し表彰され、在職13年間で集めた生徒数は10,000人を超え、ヤマハ音楽教室より受賞3回。スピーチ2回。北海道ヤマハ会優秀社員賞を受賞する。

楽天三木谷社長と一般社団法人全国個人音楽教室生徒募集支援協会の大沢孝弘と

大沢孝弘ってどんな人?

また、インターネットビジネスで遅れを取る楽器業界で積極的にIT化を取り入れ、支店独自のホームページ企画立ち上げをおこない、地域音楽コミュニティ型サイトを開設。
単なる自社のアピールサイトではなく、室蘭・登別・伊達市のアマチュア演奏家たちの交流の場としてオリジナルSNSの設置をおこない、地域のコンサート情報発信や、プロの演奏家達によるブログでの情報発信などにより、ローカル地域企業のホームページながら、月間10,000PVを超えるサイトに成長する。
更に、楽天市場へ出店。「店長暴走特価企画」「楽器を買うと北海道産じゃがいもプレゼント」「オークション戦隊ジャンクマン」など独自の販売企画で楽天の広報誌でも「おもしろ店長」として紹介され、開店2年で年商5000万円を達成する。

そして、楽器店での仕事の傍ら、プライベートでIT音楽団体MUSICPAKを設立。音楽教室の先生など音楽関係者のコミュニケーションに特化したSNSを独自に開発し会員数500名以上を集め、ITベンチャー立ち上げを目指すも30代後半から体に変調が現れだすようになる。

激務と心の病、そして最悪の結末からの脱出

2009年に支店長に就任するも、これまでに最高90連勤や残業100時間超え、年間休日数30日以下という激務をおこなってきた影響で精神に負担がかかり、手の震え、不整脈、文章が読めなくなるといった症状が出だし、買い物をしたときにお釣りの計算ができなくなる。
心療内科にて「病名を言ってもいいけど、薬出さなきゃならならなくなるから今みたいな仕事できなくなるよ」と言われ、仕事を優先するために病名を聞くことを拒否。しかし明らかに鬱病だったにも関わらず激務を続けたため、ある日、地下鉄がホームに入ってきたのを見た瞬間に「あれに飛び込めば楽になれる」と頭をよぎり、このままでは最悪の結末を迎えると気づいたことで退職を決意。実家のある札幌へ戻ることに。

華やかな立場から一転の無職生活

大沢孝弘ってどんな人?

札幌市内、山の中腹にある家賃35,000円のマンションで静養期間に入る。失業手当と少ない貯金と退職金で生活する日々を送りながら、パソコン整備士や情報処理技術者などの資格を取得し独自にホームページ制作やSEO対策などを勉強。独立起業も視野に入れ、集客コンサルタントやドロップシップ型ネットショップでの収入を目指すも全て失敗。退職した途端、今までの人脈もほとんど途切れてしまい、孤独な日々を過ごす。しかし、同じく鬱病を長く患っていた母親からのアドバイスで「お前の鬱病は軽いから薬は飲むな」「鬱病に良いのは外に出ることと運動と笑うこと」と言われ、週3回スポーツジムで筋トレに励みながら、mixi内のコミュニティへ無理の無い程度に参加しつつ新しい人脈を形成。ゆっくりと社会復帰を目指そうとするも、静養期間1年で失業手当も期間が終わり、働かなくては食べていけない状況に。

Amazon就職も「ワイルドだろう?」と言いながら退職。独立起業へ

大沢孝弘ってどんな人?

転職活動の結果、大手広告代理店に就職するも鬱病の影響が残っており、1ヶ月で仕事が嫌になり逃亡。その2ヶ月後、Amazon Japanで正社員を募集していたのでダメ元で応募したところ受かってしまい、無職から一転、世界最大Eコマース企業の正社員になる。
Amazonではテクニカルサポートとして配属。Amazonで出店している企業などの技術サポートをおこなう。当時、できて間もない部署で若い社員ばかりの中、男性最年長新入社員として入社したため、10歳以上年下の研修担当の社員から「研修いらないですよね?」と言われたり、間違って実務経験者だけで構成されるチームに配属され「私、新入社員なんですが」と言うと「風格あるから何年もいる人だと思った」と言われ、結局間違ったまま上のチームに配属される。
楽器店時代の自分中心で仕事を作り上げた環境とは違い、チームで仕事を解決していくという環境の中で居心地の良さを感じながら約1年近くが経過。リーダー職への昇進を勧められるも、どこか自分の中で「やりたいことを自由にやれる仕事」への憧れが燻り続け、悶々とした日々を過ごす中、世界からも認められる日本一の集客マーケティング技術を持つ神田昌典氏の著書「2022 これから10年、活躍できる人の条件」と、かつての上司との再会での話から独立起業を決意。
退職の際、Amazonの社内一斉メールで「Amazonやめてやるぜぇ。ワイルドだろう?」と送ったところ、かなり上の偉い人(アメリカのAmazon本社のNo.3)まで間違って送ってしまい社内で大騒ぎになりつつ、マネージャーからは「惜しい人材を失った」と残念がられる。

独立起業して1ヶ月の売上5万円でまたしてもどん底へ

大沢孝弘ってどんな人?

2012年9月。自宅の寝室の2畳程度のスペースを事務所にして出張専門パソコンサポート事業を設立。
チラシもホームページも自分で作りSEO対策も自らおこなう。しかし、どうやっても1ヶ月の売上が5万円という状況が続き、1ヶ月1万円生活をする日々を過ごしながら靴下を買うのも困るという状況に。しかし、自分で作ったホームページの検索順位がようやく急上昇し、一時「札幌 パソコン修理」で1位を獲得。更にホームページ立ち上げの際に作った「パソコン供養」というページ(亡くなられた方のパソコンに遺された写真などを取り出すことで遺品整理をおこなうという、日本で始めてのデジタル遺品整理のページ)が、「面白いホームページがある」ということで目に触れられる機会が増え、テレビ局から続々と取材を受け、売上が伸び始める。

ピアノの先生からの依頼で生徒が殺到

自由に仕事を作れる立場になったので、「やりたいこと」「できること」があるとすぐに事業化するようになり、データ復旧事業・遺品整理事業・探偵事業などの事業内容を拡大。
全てホームページからの新規顧客獲得のみで売上を上げていき、ホームページからの問い合わせ数は年間2,000件以上。ホームページだけで仕事を獲得している自由起業家として講座や講演依頼も来るようになり、職業訓練校や行政からの依頼を受けるようになる。また、趣味のキャンプを活かしたブログは月間50,000PVのアクセス数を数える人気ブログとなり、マイナビの「おすすめナビ」キャンプ・アウトドアライターとして依頼を受けるようになる。
2013年。退職後は全ての関係を絶っていた音楽教室・楽器業界だったものの、友人の紹介でピアノの先生からホームページを作って欲しいという依頼を受け制作したところ、開設してすぐに、これまでにないくらいの生徒が集まる。これを機に札幌市内のピアノの先生から立て続けにホームページ制作の依頼が舞い込み、制作をした全てのピアノ教室で生徒が増えるという実績が出たため、急遽、ピアノ教室生徒募集ホームページ制作事務所オフィス・カプリチオーソを開設。ホームページを制作しつつ、これまでに培ってきた音楽教室マネージャー時代の経験や各事業での集客マーケティング、ホームページ制作などの知識をまとめるようになる。

全国へ広げる「笑顔になる生徒募集」と、やっぱり自由な活動

大沢孝弘ってどんな人?

2017年。ピアノ教室を中心とした音楽教室の生徒募集ノウハウを全国に広めることで、一人でも多くの先生が笑顔になるよう、一般社団法人全国個人音楽教室生徒募集支援協会 Scatenatoを設立。
無料メールマガジン「生徒募集100のヒント」は募集開始1年で700名の会員を集め、業界随一の会員数を誇る生徒募集コンサルタントとなる。
また、全国で100件以上の音楽教室からコンサルティング依頼を受け「生徒数40名のピアノ教室が約100名に増加」「ライバル教室が多数ある激戦区で生徒数2倍達成」など、次々と手掛けた音楽教室の生徒数を増やしていくことに成功する。

また、生徒募集コンサルタントや各事業の展開以外にも、札幌市より養育里親として認定を受け、様々な事情で家に戻ることができない子供のサポートをおこない自宅で子供の保護に努めることや、趣味が講じて自分だけのプライベートキャンプ場用地を購入しキャンプ場作りをおこない、常に「やりたいこと」を実現する自由な発想と行動を追求している。

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